ここでは被収容者の日常生活を再現しています。
1棟の宿舎に500人もの人が寝起きしていました。

初期の頃の囚人たちはコンクリートの上に置いてあった藁の上に寝ていました。
その後マットレスが配給され、40人から50人用の部屋に200人もの人が折り重なるように寝ていました。
窓と窓の間にある写真がその様子を物語っています。

その後収容者が増えると木製の3段ベッドが作られましたが掛け布団は汚れた穴だらけの毛布(薄い麻布)でした。
ここでも1段に数人の人が押し込められました。
ここ第一収容所は元々ポーランド軍の兵営であったため暖房施設は完備されていましたが、収容所として使用された時には薪などの燃料は供給されなかったそうです。
当時の食事は朝は500CCの「コーヒー」と呼ばれる濁った飲み物。
昼は腐りかけた野菜で作ったスープ。
夜は約300gの粘土のような黒パン。
とても食事と呼べるようなものではなくこれに重労働が加わるので多くの被収容者が栄養失調で亡くなりました。
アウシュビッツ地域一帯は夏は最高37℃、冬は最低−20℃を下回ります。
湿度の高い気候、劣悪な住居環境、飢え、暑さや寒さ、洗濯もできない囚人服と不衛生な環境でネズミや虫が多くいました。
そういった環境でチフスやカイセン等の伝染病の原因となり多くの人々に死をもたらしました。
10号棟では残虐な人体実験が行われていました。

大量断種、新薬の治験、チフスに感染させて潜伏期間を調べる、飢餓による人体器官の変化の研究などさまざまな実験が行われました。
中でも医師ヨーゼフ・メンゲレは双子の人体実験に力を注ぎ約1500組3000人の双子を実験対象として非人道的な実験を繰り返しました。
生き残った双子はわずか180人ほどといわれます。

ほとんどの実験は麻酔なしで行われ命を考慮する事はありませんでした。
衰弱するとガス室で殺されました。
狂気の沙汰としか思えません。
第20号棟は収容所病院でした。


病院は常に満杯だったため医師はフェノール心臓注射で病人を殺し始めました。
椅子に座らせて心臓に注射をすると数秒で息絶えたそうです。
死体は荷車に乗せて焼却炉に運ばれました。
「点呼広場」

朝と夕方ここに集合し、監視人による点呼が行われました。
雨の日も雪の日も行われ、時には数十時間にも及んだそうです。

点呼広場の片隅にある集団絞首刑台。
12人同時に執行できます。
絞首刑は見せしめのため点呼時に執行されました。
脱走に失敗した人や、手助けをした人などが死刑になりました。
「死の壁」

10号棟と11号棟の間にある通称「死の壁」
この壁の前で数千人にも及ぶ銃殺が行われました。
壁の横にある棟の窓には木の壁が付けられていますが、これは収監されていた被収容者が死刑執行を見ないための措置でした。


第一強制収容所の見学はこれでおしまいになります。
真冬のこと、雪景色で木々や芝の緑が一切ないせいか余計に悲壮感を感じます。


ここには世界中から多くの人が訪れます。
もちろんドイツからも。
私たちは第一強制収容所を後にして第二強制収容所「ビルケナウ」を目指します。

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