ポーランド6日目。
この日は夕方まで終日クラクフの観光です。
クラクフは11世紀半ばから550年の長きにわたりポーランドの首都だった歴史ある街。
日本でいうところの京都といった感じでしょうか。
旧市街(クラクフ歴史地区)は第二次世界大戦の戦禍を免れ、1978年、最初の世界遺産12件のうちの1つとして世界文化遺産に登録されました。
まず向かったのはクラクフの旧市街地のすぐ南にあるかつてのユダヤ人街「カジミエシュ地区」
1939年にナチスドイツがクラクフに侵攻し、1941年にはこの「カジミエシュ地区」にユダヤ人を一ヶ所に集め壁で隔離したゲットー(居住区)が作られました。
映画「シンドラーのリスト」の舞台となったのがこの「カジミエシュ地区」のゲットーです。
第二次世界大戦により多くのユダヤ人が姿を消し荒廃してしまいましたが、最近では再開発が進んだことでおしゃれなカフェやショップが増え、クラクフのトレンド発信地として再び注目を集めています。
ホロコーストで命を落としたユダヤ系ポーランド人のための記念碑
多くのシナゴーク(ユダヤ教の礼拝所)が残っています。
カジミエシュ地区の中心Plac.Nowy(ノヴィ広場)
シンドラーのリストのロケ地
この階段を憶えていらっしゃいますか?
義勇軍に入った少年兵が友人の母娘を助けるシーンはここで撮影されました。
ナチス兵がユダヤ人の荷物を階段の上から地上に投げ落とすシーンも印象的でした。
ポーランドの共産主義時代が終わってからは、ユダヤの商店を模したカフェやレストラン、ショップが増えたそうで、古い街並みにギャラリーや個性的なショップ、古着屋さん、カクテルバーなど多様な店舗が集まり流行の最先端と言われています。
ユダヤ人墓地もありました。
ポーランドの国民的英雄「ヤン・カルスキ」
カルスキは、ユダヤ人虐殺の実態を潜入捜査し、連合国側に伝えた人物です。
6〜7万人のユダヤ人が住んでいたとされるカジミエシュ地区ですが現在は百数十人。
日本に帰ってからアマプラであらためて「シンドラーのリスト」を観ました。
まさにここカジミエシュ地区を舞台に鳴り響く銃弾の音、無作為に行われる虐殺、強制収容所に送られる人たち。
それはフィクションではなくすべて実際に起こった事だと思うと心が重い。
近くにはオスカー・シンドラーのホーロー工場跡も博物館として現存しているといいます。
行ってみたかったです。
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