春休み佐賀旅行2日目。
向かった先は 『吉野ケ里歴史公園』
何年か前に佐賀・大分旅行をした時に行く予定だった場所でしたが、佐賀での通り道に同業社仲間の 『(株)キス』さんの会社があったので突撃訪問。
木須社長ご夫妻と長話をしたせいで吉野ケ里遺跡に行きそびれてしまいました
やっと来れた
いい天気。
4月1日でもあっつ
とにかく広い公園ですが園内を循環するバスがあります。
季節がいい時期なら歩いても気持ちいいと思う。
「逆茂木(乱杭)」
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。
自分たちの集落を守るため、とがった木の枝や幹でバリケードを築きより厳重に守っていました。
循環バスに乗りまずは展示室へ。
遺跡の発掘調査で発見された出土品が展示されています。
弥生時代の青年イケメンぢゃん
王や位の高い人が埋葬されていた甕棺
庶民や子ども用の甕棺
甕棺の中で頭のない状態で発見された人骨
国の重要文化財に指定される銅剣とガラス管玉
復元された当時の衣服
左側が庶民、右側が上層人。
「南内郭」と呼ばれるエリアへ。
物見やぐら4棟や王たちの家、煮炊き小屋など、王たちの居住空間も含め20棟の建物が復元されています。
「大人(だいじん)の妻の家」
軍事や土木工事を取り仕切る「大人」の妻の家。
母親が娘の髪を梳いています。
「大人(だいじん)の家」
外交を取り仕切る大人と家族の家。
「王の家」
「王」と家族が暮らす家。「王」の力を示す品々が枕元に置かれています。
「煮炊屋」
食事を作る建物。
ここで作られた食事は「王」や「大人」たちの家へと運ばれていきます。
「北内郭」とよばれるエリア。
吉野ケ里集落の中で最も重要で神聖な場所とされており、当時まつりごとが行われていた場所と考えられています。
巨大な祭殿をはじめ、9棟の建物が復元されています。
「主祭殿」
吉野ケ里のまつりごとを司る最重要施設。
ここでは指導者たちが重要な事柄を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式などが執り行われていたようです。
「斎堂」
斎堂は主祭殿と東祭殿との間に位置することから、まつりの時に身を清めたり、まつりの儀式に使う道具などが置かれていた施設だと推定しています。
「竪穴住居」(左側)と「高床住居」(右側)
「高床住居」(右側)の建物は神聖な区域の中にあり、高床倉庫と違ってほぼ正方形に近い形をしていることから、吉野ケ里の最高司祭者の住まいだったと考えられています。
最高司祭者は一般の人々の前にはほとんど姿を現さなかったと考えられておりまさしくプライベートな空間だったと思われます。
「東祭殿」
北内郭の中心線である夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にあることから、季節ごとのまつりの儀式が行われた施設と考えられています。
何度も建て替えられた跡があることから、まつりなどが行われる度に建て替えれたのかもしれません。
「北墳丘墓」
約2100年前の歴代の王や身分の高い人が埋葬された特別なお墓です。
墳丘の中からは14基の甕棺が出土し、その内1基には青銅の剣とガラスの管玉が、7基には青銅の剣が副葬されていました。
当時のお墓を発掘当時の状態で見学することができます。
これらの甕棺は2100年前の本物というから驚きというかなんか怖い。
すごいじゃないか「吉野ケ里遺跡」
思ってた以上のスケール感でした。
悠久のロマンあふれるこの施設が大人460円、中学生以下無料って。
ヤバいでしょ
年間パスポート購入したいくらいだよ。
近くだったらの話だけどね。
本当に行ってよかったです。
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