大久野島では、日中戦争から第二次世界大戦を通じて化学兵器の生産工場が稼動して島全体で毒ガスの製造を行っていました。
1925年のジュネーブ議定書で、化学兵器の戦争使用が禁止されていたので、機密性から秘匿とされ地図からも消されていました。
現在も『大久野島毒ガス資料館』をはじめ、当時の様子が伺い知れる施設跡が見られます。
毒ガス工場は希望入所ではなく国家総動員法の徴用令状により、ほとんどが16〜17歳という未成年のまま、強制的に大久野島行かされた徴用者。
もちろん島で見聞きした事を外部に話すことは一切禁止。
何を作っているのかわからないままひたすら作業をしていた少年、少女の事を思うと胸が痛みます。
三軒家毒ガス貯蔵庫跡
ここでは猛毒で皮膚がただれるびらん性毒ガス『イペリット』が貯蔵されていました
長浦毒ガス貯蔵庫跡
大規模な毒ガスの貯蔵庫。
当時は建物の前に3〜4メートルの小山を作りコンクリートを迷彩色に塗る事で海上から見えないように隠していたそうです。
コンクリートの内側が黒く焼け焦げているのは当時、火炎放射器で焼却した跡ですさまじさを物語っています。
発電所跡
大久野島で毒ガスを製造する際に電力を供給していた発電所跡です。
廃墟と化し中に入る事はできません。
割れたガラスや建物全体に絡まる蔦に歴史を感じます。
この前ではしゃぐ事は不謹慎な、それ位重みを感じる雰囲気を持っています。
ここにももちろんうさちゃんがいます。
廃墟とうさぎ・・・ちょっと不思議な世界です。
レンタサイクルを借りて島を時計回りにぐるりと回るとたいていの建物を見る事ができます。
大久野島毒ガス資料館
残念ながら時間オーバーで見学する事ができませんでした。
広島生まれの広島育ち、生粋の広島っ子ですが大久野島に行ったのは初めて。
みなさんにも一度は行ってみてもらい所です。
なにより平和な時代を生きれる事に感謝するばかりです。
こんな感じで今年のシルバーウィークも終わりました。
後は現実が待っているだけ
今年も残り3ヶ月。
やり残しのないよう充実の日々を送りたいと思います。
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