ポーランド旅行4日目。
シフィドニツァを後にして約300km離れたポーランド中南部の町ヴァドヴィツェへ向かいます。
途中おしゃれなレストランでランチ。
ポーランドの伝統料理「ピエロギ」をいただきました。
もちもちした生地の中に具材が入ってます。
見た目は水餃子かな。
具材はチーズポテト、挽き肉、ほうれん草の3種類。
サワークラフトを付けていただくのですがなぜか醤油が置いてありました。
いや。これはたしかに醤油要るわ
見た目以上にボリューミーでお腹いっぱい。
街を抜けると外はどこまでも続く大平原。
ポーランドとは「平原の国」という意味で国土のほとんどは広大な平野です。
国土の75%を山地で占める日本とは大違い。
ほとんどが畑のようですが真冬の事、緑もなくちょっと寂しい風景。
小麦は獲れないようですがジャガイモは豊富に獲れるみたい。
ポーランドではジャガイモはお米の代わりの主食みたいなもんですね。
外が薄暗くなった頃、ヴァドヴィツェに到着しました。
この町は1978年にローマ教皇に就任したヨハネ・パウロ2世の生まれ故郷として知られています。
『ヨハネ・パウロ2世の生家』
ヨハネ・パウロ2世は1920年5月18日にこの家で生まれました。
クラクフのヤギェウォ大学で学んでいましたが第二次世界大戦が勃発するとポーランドはドイツ軍に占領され大学は閉鎖されました。
日々の労働で生活費を稼ぎながら、やがてクラクフ大司教がゲシュタポの目を盗んで開設した非合法の地下神学校で学業に励み、聖職者の道を志すようになりました。
戦後はローマで学び1964年にクラクフ大司教に任命され、1967年には枢機卿に叙任されます。
そして1978年に第264代のローマ教皇に就任いたしました。
イタリア人以外のローマ教皇に就任はオランダ出身のハドリアヌス6世以来455年ぶりの事でポーランド人としては初めての事でした。
ヨハネ・パウロ2世は空飛ぶ教皇」と呼ばれるほど世界各国実に100ヶ国以上をを訪問しています。
昭和56年(1981年)2月25日に広島を訪れた時の事はなんとなく憶えています。
核兵器廃絶を訴えた「平和アピール」は全世界の人々に多大な感銘を与えました。
すごく優しいお顔をされた方だなと思いました。
そうそう。あの時幟町の「世界平和記念聖堂」も訪問されたんだよね。
この生家は現在は博物館となっています。
『聖母マリア教会』
ヨハネ・パウロ2世の生家の隣りにある教会。
この教会でヨハネ・パウロ2世は洗礼を受けました。
この教会が建てられたのは1325年頃で、当初は木造の小さな教会だったそうです。
1440年に火災で焼失されましたが再建され、1726年にも火災で焼失しましたが1808年に再建されました。
1978年にローマ教皇に就任したヨハネ・パウロ2世は翌1797年6月に里帰りを果たしこの教会を訪れています。
共産主義国だったポーランド政府は彼の影響力を恐れて里帰りに反対しましたが阻止する事はできませんでした。
主祭壇
教会にはいくつかの礼拝堂があり、そのひとつに「永遠の助けの聖母マリア」の肖像が奇跡の聖なる絵画として祭られています。
ヨハネ・パウロ2世はいつもその聖母マリアの肖像の前でお祈りをしていたそうです。
ヴァドヴィツェの人々はヴァドヴィツェ出身である事、カトリック教徒である事に誇りを持っています。
教会の前は広場になっており楽しそうにスケートに興じる様子が微笑ましかったです。
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2024年02月23日
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