2024年06月12日

ポーランド・ユダヤ人歴史博物館

ポーランド旅行7日目。
この日は丸一日ワルシャワを観光します。

「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」
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ポーランドには中世から多くのユダヤ人が住んでいました。
ここはその1000年のポーランド系ユダヤ人の歴史を展示した博物館です。
ゲットー蜂起から70年を記念して2013年に開館しました。
ユニークな外観の建物はフィンランド人建築家ライナー・マフラマキの設計。

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波打つような曲線はモーセの「出エジプト」の波を表し、砂のような色はユダヤ人がかつて暮らしていた砂漠地帯の色を表しています。


「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」
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博物館前の広場にある記念碑です。
1943年4月19日から5月16日まで続いたユダヤ人蜂起の犠牲者13,000人を祀るモニュメント。
第二次世界大戦中に起きたユダヤ人の最大の抵抗として知られています。
作った材料は旧ドイツのナチス関連施設から持ってきた物だそうです。

1970年12月7日、この「ワルシャワゲットー蜂起記念碑」を訪れた西ドイツのブラント首相は、記念碑の前で突然ひざまづきナチスの罪を謝罪しました。
首相の予定外の行動に関係者一同は大いに驚きました。
ブラント首相はこの年にポーランドと西ドイツの国交正常化条約に調印し、その功績で翌年ノーベル平和賞も受賞しています。
歴史的にはかなり重みのある記念碑です。

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2024年06月06日

ザ ウェスティン ワルシャワ

ポーランド6日目に宿泊したホテルは「ザ ウェスティン ワルシャワ」

今回の旅行の中では一番いいホテルでした。

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バスルームには浴槽もあるしシャワーブースもありました。
私が苦手なのはバスルームの中にシャワーカーテンが付いてて浴槽とトイレがあるタイプ。
びしょびしょになるのよ〜

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朝ごはんはビュッフェでしたが格式高くてちょっと写真を撮れる雰囲気ではなかった

翌朝のワルシャワ。
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ポーランドは雪は降るけど北海道のように積もる事はないのです。

いよいよポーランド旅行最終日。
まだまだ楽しみます

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2024年05月27日

ワルシャワの夜

ポーランド6日目。
クラクフを後にしてポーランドの首都ワルシャワに到着です。
成田を出発してワルシャワに着いたのが旅行2日目の1月13日だったから4日ぶりに戻ってきたって事。

市街地を歩いて夕食会場へ。
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気温は低くても明るく美しいイルミネーションに温もりを感じます。

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可愛いレストランで夕食をいただきました。

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じゃがいものスープ
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こちらのスープは日本よりも具だくさんで濃厚。

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ポークのフリット
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そしてやっぱり赤ワイン
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デザートはベリーがたっぷりのアイスクリーム
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夕食の後はショパンのピアノコンサート会場へ。
雰囲気のある初老の男性ピアニストの方のミニコンサートです。
まさにTHE芸術家って感じ。
コンサートの様子は撮影禁止だったので残念ながら写真はありません。
お腹がいっぱいだった上に心地よいショパンの音色。
途中あたりからウトウトしたのは言うまでもありません

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2024年05月19日

ポーランドのおにぎり

ポーランド6日目は朝からがっつり「世界遺産クラクフの歴史地区」を観光、充分に満喫する事ができました。
クラクフともお別れ。
クラクフ中央駅を16時発の列車でポーランドの首都ワルシャワに向かいます。

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かなり大きな駅で大都市の駅ビルって感じだったと思う。
待ち時間に駅構内のスーパーでお買い物。
日本の料理や食材も見られます。

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にぎり寿司や巻きずし。
パッケージに「Sushi OISHI」寿司おいしい?

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おにぎりがいっぱい。
おにぎりを手に取っている若い男の子になんか親近感を覚えるおばさん
8.99ズオチだから日本円にすると今だと356.97円。
安くはない
ところでおにぎりの具材はなんなんだろう?

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わさびや焼きのりもある。
わさびは12.69ズオチだから503.89円。
安くはない

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ロール寿司も種類がいっぱいあっておいしそう。


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ラムネ。
種類も多し。

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ヤマサのしょうゆもあった。
21.59ズオチだから857.29円。
高っ

クラクフからワルシャワまでは列車で2時間20分。
座り心地の良い座席で何か飲み物もいただいたような気がする。
おしゃべりしてたからあっという間にワルシャワ駅に到着しました




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2024年05月18日

クラクフ歴史地区

ポーランド6日目。
クラクフの歴史地区を歩きます。

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「バルバカン」
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クラクフ旧市街には街を守る為に造られた城壁がありましたが、19世紀に取り壊され一部が残されています。
このバルバカンは円形状の砦となっており中世のヨーロッパでは各地で造られたようですが現在ではクラクフ、ワルシャワ、そしてフランスのカルソンヌの3ヶ所だけになっているそうです。

「フロリアンスカ門と城壁」
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クラクフの北側入り口に当たる所にあるフロリアンスカ門は14世紀に建てられた高さ40mほどの石造りの門で建設当時のままの姿を残しています。

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「ポーランドの画家ヤン・マテイコの像」
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4ヶ月も経っているから色々と記憶が曖昧になってきました
がんばれ、私



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2024年05月15日

クラクフの「聖マリア教会」

ポーランド6日目。
クラクフ旧市街の中央広場のすぐ側にある「聖マリア教会」
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1222年に建てられたゴシック様式の教会です。

中心部の主祭壇。
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息を呑むほどの美しさ。
圧倒されます。

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木彫りの祭壇の中心部には、使徒に囲まれている聖マリアの眠りが表現されています。
美しいステンドグラスも見応えがあります。

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聖マリア教会の見どころは教会内の壁や天井に施された色とりどりの繊細な装飾。

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パイプオルガン。

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一心に祈りを捧げる女性が印象的でした。

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ポーランドは敬虔なカトリックの国なので、教会で結婚し神の前で誓うと、離婚が大変なのだそうです。
神への誓いに背くという行為を協会が認めないので「そもそも結婚自体をなかった事にする」という形で夫婦関係を解消するしかないとか。
しかも教会がなかなか認めてくれずやたらと時間と労力がかかるのがポーランドの離婚だとか。

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2024年05月10日

クラクフの街歩き

ポーランド6日目。
クラクフの旧市街の可愛いレストランでランチ。
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麦の入ったポーランド伝統のスープ

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白身魚のフリット

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やっぱり昼ワイン

のんびりと街歩き。
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聖ペテロ聖パウロ教会
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音響が良くしばしばクラシックコンサートも開催されるそうです。

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小さな陶器屋さんに入って自分用のお土産を購入。
ポーリッシュポタリーのスクエア皿。
ひとつひとつ伝統を受け継ぐ職人さんによって絵付けされています。
一枚が4,000円ちょっとだったかな。
裏にサインがあるとお店の人が言っていた。
翻訳アプリありがたい

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クラクフの街のいたる所で見かける「オブヴァジャネック」と呼ばれるリング状のパン。
一度茹でてから焼いてるパンでホテルのビュッフェでも見かけました。
みなさんお馴染みのベーグルの元祖とも言われています。
お値段は3ズオチ(111.2円)
以前は半分位の値段だったそうですがインフレの影響で物価が上がっているようでした。
たしかに日本よりは物価は高かったように思います。
コーラとかのペットボトル(500ml)のドリンクがコンビニで6.9ズオチ(255.75円)でした。
スーパーだともう少し安い感じかな。
今はもっと高くなっているかも。

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クラクフの旧市街の外を走るトラム。
夜行路線も含め市内に20以上の路線があります。

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屋根の雪かきをしている人がいました。
一応命綱らしきものは付けてるみたい




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2024年05月01日

クラクフ中央広場

ポーランド6日目。
世界遺産に登録されているクラクフの旧市街を巡りました。

中世からそのまま残っているヨーロッパ最大の広場「中央広場」
クラクフ旧市街の中心にある総面積4万uの広場です。
広場に面してレストラン、カフェが軒を連ねます。

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左側の建物は中央広場の真ん中にある「織物会館」
14世紀の創建当時は衣服や布地の交易所だった事からこの名になったそうです。
1階はみやげ物街になっています。

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旧市庁舎の塔。
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建物は1820年に取り壊されましたが塔だけは残されました。
直径3mの大時計と鷲の像が鎮座しています。

寒い中でも大勢の人々が行き交う広場ですが、気候のいい頃はもっとにぎやかなんでしょうね。



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2024年04月26日

歴代ポーランド王の居城「ヴァヴェル城」

ポーランド6日目。
カジミエシュ地区を後にして向かったのは歴代ポーランド王の居城「ヴァヴェル城」

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旧市街の南の外れ、ヴィスワ川がへの字に屈折した角の所にそびえています。
川を見下ろす高台にあるお城は、第二次世界大戦で破壊をまぬがれポーランドの首都だった16世紀までの姿を今もとどめています。

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「竜の洞窟」
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写真ではわかりづらいかもしれませんがこの竜は時々このように火を噴きます。

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「ヴァヴェル大聖堂」
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14〜18世紀までの約400年間、歴代の王の戴冠式が行われた大聖堂であり、国王の墓所でもあります。

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金のドームの下にはジグムント・チャペル(礼拝堂)があり、その塔には1520年にジグムント1世大王の命によって作られた国内最大級、重さ11トンの鐘がつるされています。
中には入っていませんが今思えば入っておけばよかったです。

「王宮」
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いくつもの博物館に分かれた旧王宮。
中には調度品や美術品、宝飾品、武器などが展示されています。

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クラクフの旧市街を歩いていると観光向けの馬車を見かけます。
見ているだけでエレガントな気分になります。
う〜ん。日本だったら人力車かな。

お城を後にして続いてはクラクフの旧市街を巡ります。

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2024年04月21日

「シンドラーのリスト」の舞台「カジュミエシュ地区」

ポーランド6日目。
この日は夕方まで終日クラクフの観光です。

クラクフは11世紀半ばから550年の長きにわたりポーランドの首都だった歴史ある街。
日本でいうところの京都といった感じでしょうか。
旧市街(クラクフ歴史地区)は第二次世界大戦の戦禍を免れ、1978年、最初の世界遺産12件のうちの1つとして世界文化遺産に登録されました。

まず向かったのはクラクフの旧市街地のすぐ南にあるかつてのユダヤ人街「カジミエシュ地区」
1939年にナチスドイツがクラクフに侵攻し、1941年にはこの「カジミエシュ地区」にユダヤ人を一ヶ所に集め壁で隔離したゲットー(居住区)が作られました。
映画「シンドラーのリスト」の舞台となったのがこの「カジミエシュ地区」のゲットーです。

第二次世界大戦により多くのユダヤ人が姿を消し荒廃してしまいましたが、最近では再開発が進んだことでおしゃれなカフェやショップが増え、クラクフのトレンド発信地として再び注目を集めています。

ホロコーストで命を落としたユダヤ系ポーランド人のための記念碑
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多くのシナゴーク(ユダヤ教の礼拝所)が残っています。
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カジミエシュ地区の中心Plac.Nowy(ノヴィ広場)
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シンドラーのリストのロケ地IMG_6918.jpg

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この階段を憶えていらっしゃいますか?
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義勇軍に入った少年兵が友人の母娘を助けるシーンはここで撮影されました。
ナチス兵がユダヤ人の荷物を階段の上から地上に投げ落とすシーンも印象的でした。

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ポーランドの共産主義時代が終わってからは、ユダヤの商店を模したカフェやレストラン、ショップが増えたそうで、古い街並みにギャラリーや個性的なショップ、古着屋さん、カクテルバーなど多様な店舗が集まり流行の最先端と言われています。

ユダヤ人墓地もありました。
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ポーランドの国民的英雄「ヤン・カルスキ」
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カルスキは、ユダヤ人虐殺の実態を潜入捜査し、連合国側に伝えた人物です。

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6〜7万人のユダヤ人が住んでいたとされるカジミエシュ地区ですが現在は百数十人。

日本に帰ってからアマプラであらためて「シンドラーのリスト」を観ました。
まさにここカジミエシュ地区を舞台に鳴り響く銃弾の音、無作為に行われる虐殺、強制収容所に送られる人たち。
それはフィクションではなくすべて実際に起こった事だと思うと心が重い。

近くにはオスカー・シンドラーのホーロー工場跡も博物館として現存しているといいます。
行ってみたかったです。



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2024年04月12日

クラクフで

ポーランド5日目の夕食はクラクフの街のおしゃれなレストランで。

サラダ
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羊のチーズの燻製にベリーソースがかかっています。
不思議なお味。

チキンのソテー(チーズソースかけ)
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メレンゲのケーキ
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こちらもベリーソースがかかっています。
さっぱりしててまさかの完食。

そして赤ワイン
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この日は前日と同じ「ノボテルクラクフ シティウエスト」に連泊。
昼間かなり歩いたのでくたくた
Xやインスタグラムの投稿もままならず寝落ち

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ホテルで何時間も親子でサッカーゲームをやっていた10歳くらいのポーランド人(たぶん)の男の子がラッソー君のポーランド版みたいであまりにも可愛すぎてたまらないから日本から持って行った「じゃがりこ」を無理矢理あげました(押しつけた)
「Thank you!」で泣いた
あのじゃがりこ食べてくれたのかな。

翌日の朝食。
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ビュッフェで食べるものはだいたい決まってます。
豆の煮込み大好き過ぎて毎日食べてました。

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何言ってるか言葉わからないくせになぜかいつもお部屋でTVつけてるの何?

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さぁ、6日目はクラクフの歴史地区の観光です。
もはや3ヶ月も前の事なんで若干記憶が薄れてきています



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2024年04月10日

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」C

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」

坑内の見学コースの中盤を過ぎたあたりに岩塩抗のメインともいえる「聖キンガ大聖堂」があります。
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深さ101mにある巨大な地下礼拝堂です。
ここで働く労働者の為に作られ実際にミサなども行われていたそうです。
シャンデリアやイエスの磔刑像、祭壇から床、宗教画にいたるまですべてが塩でできています。
これらは著名な芸術家ではなく、すべてここの坑夫が彫ったものだというから驚き。
圧巻のひと言です。

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「最後の晩餐」
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一見、タイルに見える床も塩でできています。

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ここ「ヴィエリチカ岩塩抗」は同じくポーランドの「クラクフ歴史地区」とともに1978年に世界で初めて世界遺産に登録された12件のひとつです。
1700年前、ヴィエリチカ周辺は海でした。
地殻変動が起こり、陸と陸の間に海水が残り湖となります。
湖が太陽の熱で蒸発し、塩の層だけが堆積して残るのが岩塩です。

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こうしてポーランド5日目は「アウシュビッツ強制収容所」「ビルケナウ強制収容所」そして「ヴィエリチカ岩塩抗」と内容の濃い見学を終えました。
この日はおそらく10km近くは歩いたのではないかと思います。
まさに海外旅行は体力勝負。
できるだけ若いうちにあちこち行っておこう。

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2024年04月06日

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」B

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」

昔の人たちがどのように塩を採掘してどのように運んでいたのかがわかります。
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メタンガスの焼き場
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地下での採掘で重要なのは労働者の為の空気の確保。
地下から湧き出てくるメタンガスを見つけて燃やしていました。
たいまつに火をつけて酸素がなくなるのがわかるように工夫がされています。

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16世紀ごろには働き手のひとつとして馬を使うようになりました。
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馬の力を借りて滑車を動かし岩塩を地上に運び出していました。

このようにハンガリーから連れてこられた数十頭もの馬が働いていました。
狭い坑内に大きな馬を入れるのは難しいので仔馬の時に坑内に入れて育て、大きくして働かせたそうです。
また地上に上げる事も難しく、馬たちは一生外に出られず地下で働いていたのだそうです。
ただミネラルたっぷりの場所だけに馬たちは驚くほど健康状態が良かったそうです。

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中世期、塩は「白い金」と呼ばれており、金よりも価値のある宝でした。
1樽の塩で1つの村と交換できるくらいの価値があったそうで、中世時代のポーランドの財源を担った製塩は現在も続いています。

塩産業の保護をしたポーランド王カジミェシュ3世の像。
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ポーランドの地盤を強固なものにした立役者として今日でも尊敬されている人物です。
ポーランド紙幣の50ズロチにも彼の肖像画が入っています。
この人が1日8時間労働を取り入れたそうです。
長期的に見てこれ以上働いたら作業効率が悪くなる事に気づいたのだとか。

昨年行った我が国が誇る世界遺産「石見銀山」をちょっと思い出しましたよ。

私の旅行記.gif

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2024年03月29日

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」A

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」
坑内では歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像を見る事ができます。

「コペルニクスの間」
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1493年にここを訪れたコペルニクスの塩の記念像。

「ヤノヴィツェの間」
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キンガ女王の伝説をモチーフとした塩の像。

「ビスコヴァ・スカワの間」
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17世紀の階段と岩塩を地上に運ぶシステムを見ることができます。

「バロンチの間」
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光を浴びて緑に輝く地底湖。
湖の最深部は9mもあります。

「ミハウォヴィツェの間」
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17世紀に作られたと言われます。
白い木造の柱が美しい。

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すべて塩でできたシャンデリアの美しいこと
驚く事にこの岩塩杭にあるほとんどの彫刻は、ここで働く抗夫によって刻まれたものだといいます。

イルミネーション (2).gif

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2024年03月23日

世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」@

アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所のあるオシフィエンチムを後にして途中レストランでランチ。

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甘〜いドレッシングのサラダ
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ロールキャベツ
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挽き肉と一緒にお米や麦が入っていました。
日本のと違って柔らかい。

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もはや昼ワインが当たり前になってる
幸せ過ぎる

そしてこの日2ヶ所目の世界遺産「ヴィエリチカ岩塩抗」へ
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ヴィエリチカはクラクフの南東約15kmにある小さな町です。
この町の地下には、1250年頃から1950年代まで稼働していた世界有数の規模の岩塩採掘場があります。
コストの問題と、坑内で洪水が起きる危険性もある事から現在は採掘は行われておらず観光地として世界中から年間110万人もの観光客が訪れます。

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岩塩抗入り口。
周囲にはレストランやカフェ、ショップもあります。

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地下64m〜325mにわたってアリの巣のように入り組んだ採掘場の一部、約3.5kmが公開されています。
そこを歩いて見学したのですが本来の坑道は全長300km。
私たちが歩くのはほんの1%と聞きスケールの大きさを感じました。

坑道をどんどん進んでいきます。
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坑道の壁をペロッと舐めたらしょっぱかったです。
採掘場の様子はまたお伝えしていきますね。

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2024年03月15日

アウシュビッツ第二強制収容所(ビルケナウ)

アウシュビッツ第一強制収容所から約2km離れた所にある第二強制収容所ビルケナウへ。
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1941年10月、ブジェジンカ村に被収容者を補う為に第二強制収容所ビルケナウが開所されました。
ここは各地から送られてくる、より多くのユダヤ人を抹殺するための絶滅収容所として運用されていました。
ピーク時には9万人の人々が収容されていたといいます。

「アンネの日記」のアンネ・フランクが最初に収容されていたのもここビルケナウです。
アンネ一家はユダヤ人として強制収容所に収容されました。
そもそもユダヤ人とはドイツが定義したものであり、祖父や祖母がユダヤ教徒であればユダヤ人とされたそうです。
ドイツのフランクフルトで生まれ、オランダのアルステルダムで育ったアンネは13歳でアウシュビッツに収容されましたがアンネ自身は自分がユダヤ人であるとは思っていなかったそうです。
アンネは2ヶ月後に両親と離れ、姉と共にビルケナウからベルゲン・ベルセン強制収容所に移送されました。
劣悪な環境の中、食料もほとんど与えられず二人とも発疹チフスにかかり亡くなりました。

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「死の門」と呼ばれた収容所入り口。
広大な敷地の為、収容所内にまで線路が引き込まれています。

ドラマ「白い巨塔」を思い出される方も多いと思います。
唐沢寿明さん演ずる財前五郎がワルシャワの学会でポーランドを訪れた際に現地駐在員の諒子に連れられアウシュビッツを訪れました。
死が待ち受けるガス室と、労働者として収容所に向かう鉄道の分かれ道で五郎が「どちらに行っても地獄だったというわけか。」というセリフが印象的でした。
少女時代に「アンネの日記」ちょっと大人になってから映画「ライフ・イズ・ビューティフル」、ドラマ「白い巨塔」を観て、生きている間に一度はアウシュビッツに行きたいと思っていました。

そして「白い巨塔」のすごいところと言えばフィクションのドラマとしては世界で初めてアウシュビッツ強制収容所の内部で撮影されたこと。
あのスティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」でさえ撮影許可が取れなかったというのに。
「シンドラーのリスト」ではこの門の外側にセットを組み撮影を行ったそうです。
現地ガイドのアキさんも「白い巨塔」の撮影許可が出た事に関しては不思議でしょうがないとおっしゃっていました。

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大勢の人が窓のない家畜用の貨物車にぎゅうぎゅう詰めにされて連れて来られました。
水も食料も与えられない状況で何日も走っていたために車内で亡くなる人もいました。
「シンドラーのリスト」でオスカー・シンドラーがユダヤ人の乗った貨物車で暑くて苦しんでいる人を見て「水をかけるんだ。」と言って消火栓用のホースを使い先頭になって放水するシーンを思い出します。

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そしてこのビルケナウの降車場(ランペ)で死の選別が行われました。
「右へ行け」「左へ行け」
労働力として選ばれたのは到着した人のわずか25%。
残りの75%は降車直後にガス室で殺されました。
ここはもはや殺人工場なのです。

鉄道の引き込み線の終点に「国際慰霊碑」があります。
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石碑には「永遠にここは絶望の地であり、ヒューマニティに対する警告である。ナチスはここで、様々な国の主にユダヤ人の男性、女性、そして子ども達を約150万人殺害した」と書いてあります。
このメッセージは犠牲者の国それぞれの言語に翻訳されており20ヶ国分の石碑があります。

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広大な敷地は電流が流れる有刺鉄線のフェンスで9つに区切られSS(ナチス親衛隊)と犬が常に巡回しています。

多くの監視塔には機関銃と自動小銃を持った護衛兵が立っていました。
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囚人の命は気まぐれに残忍な刑罰を加える事ができる護衛兵によって支配されていたのです。

ビルケナウには300以上の収納小屋(バラック)がありましたが現存しているのは45棟のレンガ造りの小屋と22棟の木造の小屋のみ。
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終戦直後、建設資材不足となり収容所の木材が使われほとんどの収容所が取り壊されました。
レンガの煙突のみが残っています。

第一収容所では2階建てのしっかりとした建物で生活していましたがこちらのビルケナウでは沼地に建てられた基礎なしの粗末なバラックでの生活を強いられました。

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レンガ造りのベッド。

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ひとつのスペースに5〜7人が寝かされていたそうです。
ひどい場所では一番下が土のままの所もあったそうです。
窮屈で不衛生な環境のため、伝染病が急激蔓延しました。
トイレは1日1回、ほんの数秒で済ませます。
冬は−20℃にもなる中で暖房もなく寒さで亡くなる人もいました。

第一強制収容所にはガス室が1ヶ所でしたがビルケナウにはガス室が4ヶ所ありました。
第二、第三ガス室は脱衣場とガス室が地下にあり、死体焼却場は地上に造られました。

第一強制収容所にガス室の模型がありました。
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地下にある更衣室とガス室。

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1階が焼却場になっています。
地下から焼却場に死体を運ぶのも被収容者(ゾンダーコマンド)の仕事でした。
ナチスはガス室の上の小さな穴からチクロンBという毒ガスを入れるだけでした。

第二ガス室
焼却場の残骸
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戦況が悪化してくると、大量虐殺の証拠隠滅の為にナチス軍によって破壊されました。

第三ガス室
脱衣場の跡
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爆破されたままの状態で保存されています。

1944年、ソ連軍の急激な進軍に意表を突かれたドイツ軍は、この収容所を取り壊して大量虐殺の証拠を隠そうとしました。
多くの建物、重大な資料や遺品の多くは焼却されました。

私の長年の希望であったアウシュビッツ強制収容所の見学はやっと叶いました。

これはアウシュビッツ強制収容所で購入した本。ありがたい日本語版。
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ガイドさんに聞いた話、ガイドブック、ネット記事などを参照してブログに記してきました。
負の遺産ゆえにちょっと掲載をためらうような写真もありましたが、できるだけ読んでくださる方に伝わるようにと思い掲載させていただきました。
気分を害された方もいらっしゃるかもしれません。お詫び申し上げます。
訪問してから2ヶ月経過しているので忘れている事もありますが、記事を投稿した後で、ふと思い出す事もあります。
できるだけ正しくお伝えしたいので間違っている箇所は逐一修正していきたいと思います。
それにしてもアウシュビッツにこれだけの史跡や遺品、資料が残されているとは思いませんでした。
80年も前の出来事ですが鮮明に残る写真の数々には目を奪われました。
被収容者がこっそりナチス軍からフィルムを盗んだような話も聞きました。
これらの写真はナチスが行った大量虐殺の紛れもない事実をそのまま伝えてくれます。

アウシュビッツに行って感じた事は「人間の怖さ」です。
戦争という名の下、人はここまでも残酷になれるんだと思いました。
以前ドキュメンタリーで元ナチス軍の方がインタビューで、ユダヤ人を殺す事に対して罪の意識など何も感じなかったと聞きました。
そして収容されていた人たちも他人の死に慣れっこになってしまう。
自分たちの生活を守るために必要な事。そして人間を人間と思わなくなる。それが戦争というものなのでしょうか。
このような悲しい歴史がありながら今この一瞬にも戦争は行われているのです。
もうやめようよ。
私なんかは人生残りたかだか数十年。
でも子、孫まだそのずっとずっと先まで未来は続きます。
人の心を失ってしまう戦争は二度とあってはいけません。

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2024年03月11日

世界遺産「アウシュビッツ強制収容所」C

アウシュビッツ強制収容所第一収容所の7号棟。
ここでは被収容者の日常生活を再現しています。
1棟の宿舎に500人もの人が寝起きしていました。

7号棟 (1).jpg
初期の頃の囚人たちはコンクリートの上に置いてあった藁の上に寝ていました。
その後マットレスが配給され、40人から50人用の部屋に200人もの人が折り重なるように寝ていました。
窓と窓の間にある写真がその様子を物語っています。

7号棟 (2).jpg
その後収容者が増えると木製の3段ベッドが作られましたが掛け布団は汚れた穴だらけの毛布(薄い麻布)でした。
ここでも1段に数人の人が押し込められました。
ここ第一収容所は元々ポーランド軍の兵営であったため暖房施設は完備されていましたが、収容所として使用された時には薪などの燃料は供給されなかったそうです。

当時の食事は朝は500CCの「コーヒー」と呼ばれる濁った飲み物。
昼は腐りかけた野菜で作ったスープ。
夜は約300gの粘土のような黒パン。
とても食事と呼べるようなものではなくこれに重労働が加わるので多くの被収容者が栄養失調で亡くなりました。

アウシュビッツ地域一帯は夏は最高37℃、冬は最低−20℃を下回ります。
湿度の高い気候、劣悪な住居環境、飢え、暑さや寒さ、洗濯もできない囚人服と不衛生な環境でネズミや虫が多くいました。
そういった環境でチフスやカイセン等の伝染病の原因となり多くの人々に死をもたらしました。

10号棟では残虐な人体実験が行われていました。
11号棟 (2).jpg
大量断種、新薬の治験、チフスに感染させて潜伏期間を調べる、飢餓による人体器官の変化の研究などさまざまな実験が行われました。
中でも医師ヨーゼフ・メンゲレは双子の人体実験に力を注ぎ約1500組3000人の双子を実験対象として非人道的な実験を繰り返しました。
生き残った双子はわずか180人ほどといわれます。
11号棟 (1).jpg
ほとんどの実験は麻酔なしで行われ命を考慮する事はありませんでした。
衰弱するとガス室で殺されました。
狂気の沙汰としか思えません。


第20号棟は収容所病院でした。
20号棟 (1).jpg

20号棟 (2).jpg
病院は常に満杯だったため医師はフェノール心臓注射で病人を殺し始めました。
椅子に座らせて心臓に注射をすると数秒で息絶えたそうです。
死体は荷車に乗せて焼却炉に運ばれました。

「点呼広場」
点呼広場.jpg
朝と夕方ここに集合し、監視人による点呼が行われました。
雨の日も雪の日も行われ、時には数十時間にも及んだそうです。

集団絞首刑台.jpg
点呼広場の片隅にある集団絞首刑台。
12人同時に執行できます。
絞首刑は見せしめのため点呼時に執行されました。
脱走に失敗した人や、手助けをした人などが死刑になりました。

「死の壁」
死の壁.jpg
10号棟と11号棟の間にある通称「死の壁」
この壁の前で数千人にも及ぶ銃殺が行われました。
壁の横にある棟の窓には木の壁が付けられていますが、これは収監されていた被収容者が死刑執行を見ないための措置でした。
死の壁 (2).jpg

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第一強制収容所の見学はこれでおしまいになります。
真冬のこと、雪景色で木々や芝の緑が一切ないせいか余計に悲壮感を感じます。

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ここには世界中から多くの人が訪れます。
もちろんドイツからも。

私たちは第一強制収容所を後にして第二強制収容所「ビルケナウ」を目指します。

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2024年03月08日

世界遺産「アウシュビッツ強制収容所」B

アウシュビッツに送られてきた人々は3つのカテゴリーに選別されました。
即刻ガス室に送られるか、労働者として収容されるか、人体実験の対象として残されるかです。

仕事を課せられることで即死を逃れた人々を待っていたのは「労働による絶滅」です。
このような労働があったそうです。
@懲罰部隊
生産性のない過重労働をひたすら続けさせられ、多くが短期間に死亡したとされています。

A生産的労働
周辺の軍事工場で戦争に必要な資材を作り出したり施設を管理する為の労働。
技能者・知識者が選ばれたが過酷さに変わりはありません。

B特別労務班員(ゾンダーコマンド)
所内で死亡した被収容者の処分を担当させられ待遇は良かったものの口封じの為に数ヶ月に一度処分されました。

C労働監視員(カポ)
主にドイツ人の犯罪者から選ばれ、被収容者の階級では一番上でした。
他の被収容者を監視する仕事を行っていました。

囚人の中には収容所内の強制労働者として働く人もいれば、収容所の台所で働いたり、床屋として働く人もいました。
女性は山積みの靴、衣服、その他の囚人の持ち物を仕分ける事もありました。

ガス室
ガス室1.jpg

ガス室2.jpg

アウシュビッツに送られてきた人の8割はガス室で殺害されました。
パニックを防ぐため、収容所の看守はシラミを取り除くためにシャワーを浴びるのだと言いました。
貴重品は全部渡して服を脱ぐように指示されました。
その後裸でシャワー室(ガス室)に入れられ看守が鉄の扉を閉めて錠をかけました。

ガス室3.jpg


その時使われたのが「チクロンB」という劇薬。
ガス室5.jpg
これが天井の小さな穴から投げ込まれました。

ガス室4.jpg
大量の空き缶が残されています。
4缶で1,000人を殺傷する事ができたそうです。
ガス室に入ってから20分以内に全員が酸素欠乏で亡くなりました。
遺体はいつも苦しそうに折り重なり、投げ込まれるための小さな穴の近くに殺到していたそうです。
どんなに苦しかった事でしょう。
監視下の中、囚人たちは死体を隣りの部屋に引きづっていき、髪の毛、金歯等を剥ぎ取るように強制されました。
遺体は焼却炉で焼かれるか集団墓地に埋められました。

ナチスにとって一番効率よく大勢を殺害できる方法がガス室での殺害だったのです。
ガイドさんの話だと毎日の銃殺でSS(ナチス親衛隊)の精神状態もおかしくなっていたそうです。
この方法だとSSの精神面の負担を配慮でき低コストで効率よく大勢を殺害できたのです。

当時のアウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスは、このガス室のすぐ近くに家族と共に住んでいました。
家族を大事にし、おうちに帰ればとてもいいお父さんだったそうです。

ガス室6.jpg
後に(戦後)彼はガス室のすぐそばにある絞首台で公開処刑されました。
死の間際、ヘスは「自分は、ナチスの歯車のひとつだったということに過ぎない」と語ったそうです。
絶対に許される事ではないけど当時ヒトラーに逆らう事は死を意味する事であったに違いありません。
戦争は人間が人間でなくなり人の心を失ってしまいます。
先日ウクライナのゼレンスキー大統領が、ロシアによる全面侵攻で、これまでに31,000人のウクライナ兵が殺害されたと公表しました。
その一人一人に愛する家族や友人、守るべきものがあったはず。
大切なものを犠牲にしてまでやらなきゃいけないのかな。
止めれる人はいないのかな。

私がいつも(家で)言っている事。
@ロシアとウクライナは戦争じゃなくてスポーツ大会で楽しく決着をつける。
A北朝鮮は意味のないミサイル発射を一切止やめて国民を元気づける為に花火を上げる。
ミサイル一機でどれだけ大がかりな花火大会ができることか。
それで国民の士気が上がればその方がよっぽどいい。

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2024年03月05日

世界遺産『アウシュビッツ強制収容所』A

世界遺産『アウシュビッツ強制収容所』には当時を物語る多くの物や写真が残されています。

安住の地を与えると言われて連れてこられた人々はほとんどの人が全財産を持ってやってきていました。
到着すると持っていた荷物はすべて没収されまさに身ひとつになりました。

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靴(11万足以上)

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眼鏡(約40kg)

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義手・義足(470本)
障がい者も排除の対象でした。

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カバンやトランク(3800個)
安心させるために(後でわかるようにと)あえて名前、住所を書かせました。

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鍋などの日用品(1万2000個)

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タウェス(ユダヤ人が祈る時に肩にかける特別な布)

選別されて労働者として収容されるとまず髪を刈り取られました。
一部撮影禁止のエリアがありました。
そこには被収容者から刈り取った髪の毛がうず高く積まれていました。
7tあった髪の毛のうち約2tが残されています。
刈り取られた髪の毛は衣料品会社や絨毯製造工場に販売され糸や靴下に加工されました。

被収容者の写真。
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初期はこのように証明写真を撮っていましたが、毎日10時間以上の労働をしながら粗末な食事しか与えられなかった為、人々はやせ衰え証明写真とは別人のように人相が変わり写真は役に立たなくなったそうです。
後には下の写真のように管理番号(登録番号)の入れ墨をして管理していたそうです。
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過酷な環境の中でほとんどの方が数ヶ月で亡くなっています。

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男性は縦縞のズボンと上着を着用し、女性は作業着を身に着けました。
履物は男女ともにサイズの合わない作業靴が支給され木靴の場合もありました。
着替えなどなく与えられた1着の囚人服で一日を過ごしました。

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被収容者はカテゴリーで区別されています。
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囚人服には、「ユダヤ人」「政治犯」「一般犯罪者」「同性愛者」などを区別するマークがつけられています。
これは強制収容所内にヒエラルキーが形成されていた事を意味します。
ドイツ人を頂点に西・北ヨーロッパ人、スラブ人、最下層にユダヤ人や同性愛者がロマ・シンティが置かれ、下層にあればあるほど食料配給量や宿舎の設備、労働時間など過酷な状況に置かれ死亡率も高くなりました。
心理的に下層の被収容者がいる事で上層の者に多少の安心感を与えると共に、被収容者全体がまとまって反抗する機会を作らせない狙いがあったと考えられます。

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2024年03月03日

世界遺産『アウシュビッツ強制収容所』@

ポーランド旅行5日目。
ホテルを出発して70km離れたオシフィエンチムへ。

この日見学するのは今回の旅の一番の目的地でもある世界遺産『アウシュビッツ強制収容所』
第二次世界大戦中の1940年にナチス・ドイツによって占領地であるポーランドに建設され大量虐殺が行われた強制収容所です。

1.jpg
入場の手続きを待っている人たちが大勢います。
世界中からたくさんの人々が見学に訪れます。
コロナ前の2019年度には年間230万人もの人が訪れたようです。
ちなみに広島の平和祈念資料館はどの位来館者がいるのか調べたら年間170万人を超えるらしいからこちらも相当すごい
そしてさらにすごいのはアウシュビッツ強制収容所は入場料が無料だという事。
ちょっと考えられないですよね。

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アウシュビッツ強制収容所には第一強制収容所とさらに規模の大きい第二強制収容所があり第二強制収容所を「ビルケナウ」と言います。
言わずと知れた負の遺産ですが、アウシュビッツに関してはお伝えしたい事がたくさんあるので何回かに分けて記していこうと思います。
この日案内してくださったのはポーランド在住の日本人ガイドさんのアキさん。
とても素敵な方で大変わかりやすい説明をしてくださいました。

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第一収容所の入り口ゲート。
「ARBEIT MACHT FREI(働けば楽になれる)」の文字が掲げられていますが「B」の文字が上下逆になっています。
ゲートを作らされた被収容者の小さな反抗の跡といわれています。
実は数年前にこのゲートの文字部分が盗まれて新たに取り付けられたそうです。
なんと罰当たりな
働けば楽になるというのはまったくの嘘で、一度入るとここから出る事はほぼ不可能でした。

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収容所には28棟の「囚人棟」があり、最大で28,000人も収容されていました。
ここで殺害された人は、100万人以上にものぼると言われますが実際の数はわかっていません。
その3分の2をユダヤ人が占めました。

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アウシュビッツにはさまざまな国から次々と人々が送られてきました。

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列車がアウシュビッツに到着すると待ち構えていたドイツ人の医師たちが『選別』と呼ばれる作業をします。
労働力になるか、ならないか。
働けない人間に価値はないとみなし、13歳以下(身長120cm以下)の子ども、妊婦、お年寄り、体の不自由な人は即ガス室に送られます。
選別すらされずに列車で着いた人全員をガス室に送り込む事もあったそうです。

敷地内は高圧の電流が流れる有刺鉄線に囲まれています。
もし逃げ出したりしたら連帯責任で家族や仲間も殺されてしまいます。
過酷な環境に心身共に衰弱し高圧電線に自ら身を投げて自殺を図る人もいたそうです。
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あちこちに監視塔が見られました。
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アウシュビッツ強制収容所の記事では目を背けたくなるようなお写真も出てくるかもしれませんのでご了承ください。


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posted by りょうこ at 11:15| 広島 ☁ | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする